ヨーガ哲学において、
欠くことのできない基本的な考え方が、
「私について」の考え方であるといえます。
ヨーガの実践で目指すのは、
私たちの ” 本来の自分 “
または、” 魂、本質 、純粋意識 “ とも言える
「真我(プルシャ)」を生きることです。
また、ヨーガでは
「真我(プルシャ)」以外の物質すベてを
「物質(プラクリティ)」と定義されています。
私たちの 本質といわれる「真我(プルシャ)」とは、
世界を「観るもの」であり、
無限の幸せに満ち、安定した、変わることのない普遍なる存在。
それに対して、
二局のものに左右されて変わり続ける性質を持つのが
「観られるもの」である
「物質(プラクリティ)」であるといわれています。
※観るもの・観られるものと定義され、 「真我(プルシャ)」は自分がどういう存在かを知るために、
「物質(プラクリティ)」に起こることを目撃している、と解釈されます。
「物質(プラクリティ)」とは、
世界を織りなす自然や、
目に見える物質のみならず、
私たちの肉体や感覚、
精神(知性、自我、心)でさえ、
変化し続けるもの=「物質(プラクリティ)」の一部とされています。
ヨーガ哲学では、
これら2つを混同することから
すべての苦悩がはじまると考えられています。
そして、
これら2つを見分けていくことで、
「真我(プルシャ):本来の自分」そのものに
なることができるのです。
「真我(プルシャ)」になるための近道とは??
「真我(プルシャ)」をわかりやすく知っていくための、
素晴らしいきっかけになるのが
ヨーガのアーサナ(ポーズ)であるといわれています。
5世紀頃に著された「ヨーガ・スートラ」では、
「アーサナは意識的であること、快適で、安定したものでなければならない」
と説明されています。
心を集中させ、
体の ” 状態 “ に目を向け、
スムーズで安定した呼吸を通して、
自分との繋がりを感じること。
目的は、決して、難しいポーズをうまく取ることにあるわけではありません。
ヨーガを通して、
「安定した、心地の良い自分」という感覚を味わうこと。
これをを積み重ねることが、
「真我(プルシャ)」そのものに "なる" ための
実践であり、手段となります。
「真我(プルシャ)」は、
とても安定した性質を持ち、
これに近づこうとするヨーガの習慣は
変化を続ける「物質(プラクリティ)」の影響を受けにくくさせるのです。
こうした「安定」の感覚に気付きを向け、
自分にとっての本当の快適さを味わうためにも、
日々の練習を続けていく上で、
「真我(プルシャ)に生きる」と言うゴールを見失わないよう
ヨーガの時間をコツコツ積み重ねて
深めていきたいですね^^
もうすぐ春ですし、
足の裏を目一杯感じて、 大地を清々しい気持ちで歩いていきましょう♪
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